あれから1年経ちました 〜後編〜


前回の続きです。
前回以上に長いです^^;

>>その1はこちらをどうぞ

容態が安定していたので、予定していた仕事をこなすべく一旦東京へ戻ることにした矢先、突然容態が悪化する父。

僕もさすがにその場を後にすることができず、打合せ欠席とライブのキャンセルの連絡。
もちろんフライトのキャンセルも。

不思議なことにそうやって僕がその日東京に戻ることを止めた少し後に父の容態は安定を取り戻す。
しかし、医者からは今後このような急変を繰り返すことが予想されるため最悪のケースを想定して準備しておくようにとのお話があり、母がその準備を整えるためにちょうど見舞いに来ていた従姉妹の車で10分ほどの距離にある自宅へ。

再び父の容態が急変したのはその直後だった。
僕が東京へ戻ろうとしていた時よりもかなり早いスピードで数値が悪い方へ。
慌ただしくなる看護師さんやお医者さんの動き。
慌てて母の携帯に電話。
「今どこ?どんどん状態が悪くなってる。もしかしたらこのまま最期に間に合わなくなってしまうかもしれないから、とにかく急いで戻って来て!」
そう伝えるくらい厳しい状況。

ところが不思議なことが再び。
急いで戻ってきた母が「お父さ〜ん、どうしたの〜?」と話しかけた途端に容態は一気に安定。
夫婦の絆の強さを感じると同時に、もう話をすることはできない状態だった父がまるで「よし、みんな揃ってるな。もうみんなどこにも行くなよ。」とでも言って安心しているかのように。

その後は側で我々家族が見守る中ゆっくりとゆっくりと弱まっていく父。
きっととっても苦しくて辛かっただろうに、とても穏やかな様子で日付が変わった8月24日未明に静かに息を引き取った。

享年76歳(満75歳)。
4年前に肺がんの手術をした父の肝臓に新たにがんが見つかり再び手術をしたのが1月。
そしてその後さらに膵臓への転移が見つかったと母から僕に連絡が入ったのは8月に入ってすぐのこと。
当時の沖縄県知事だった翁長雄志氏が同じような経緯で膵がんで急逝したのはそのすぐ後、父の満75歳の誕生日の翌日だった。
父はどんな思いでそのニュースを目にしていたのだろう。
それから半月後、父もついに膵がんに勝つことはできなかった。

父の亡き骸を病院の方々に綺麗にしていただき、葬儀屋さんと自宅へ戻ったのはすでに朝方。
その日は、沖縄の旧盆の中日(ナカヌヒー)。
葬儀屋さんの話によると、沖縄の火葬場がお休みするのは年に2日、お正月と旧盆のウークイ(お送りの日)だけ。
なので、旧盆明けはとても混んでおり葬儀告別式は早くて3日後になるとのこと。
真夏の時期なので少し心配はあったけれど、むしろ時間があった分、焦らず準備できたりゆっくり自宅で一緒に居られることができた。

葬儀告別式まで自宅で過ごす間、親戚や仕事関係の方々、同級生、三線仲間など父と親交のあった様々な方々が訪れる中、たまたま東京からお盆で帰省中に近くを通りかかった僕の中高の同級生とそのお姉さんだったり、同じくたまたま通りかかって慌てて訪ねてきてくれた20数年ぶりに会う同級生でかつてのバンドメンバーだったり、僕自身にとっての再会もまたとても不思議な流れを感じるものがあった。

告別式の前夜、父の友人・Yさんから電話をいただいた。
Yさんは父の高校の同級生で就職先も一緒。定年後も亡くなる前の月まで月に1回必ず飲みに行って様々な情報交換や互いの近況報告をしていたらしいまさに親友。
「聡士、お父さんがカラオケで必ず歌っていた大好きだった歌を知ってるか?無理かもしれないけど、もしできるなら明日の告別式でその曲を流せないかな?」
そう言ってYさんが僕に教えてくれた父のカラオケの十八番は、現在も日本歌手協会名誉会長を務めていらっしゃる青木光一さんの「柿の木坂の家」という歌。
恥ずかしながら、僕はこの曲を存じ上げませんでした。
母も父がこの歌を好んで歌っていたなんて全く知らなかったらしい。
1957年に大ヒットしたようだから、父が中学生の時か。
まさに父の青春時代のヒット曲だったんだな。

お琴をやっている叔母(父の妹)と相談して、告別式の焼香中は古典の「十七八節」を流すことにしていたんだけど、受付横に設置するメモリアルスペースに父が愛用していた三線2挺を飾ると共にスライドショー映像を流すことにしていたので、その映像のBGMとしてなら流せるかもしれない。
そう思ってすぐにApple Musicで検索。
便利な世の中になったもんだ、もちろんすぐに見つかった♪

スライドショーの映像には別途BGMを付けてDVDに編集していただいていたのだけれど、当日斎場で相談したところ、ディスプレイの音声を切って僕が持参したiPadから「柿の木坂の家」をエンドレスで流してもらうことに。

告別式当日はやはり何かと慌ただしくて、Yさんと直接お話しすることはできなかった。
でもその後、初七日の際に「あの曲流してくれてたな。嬉しかった。ありがとう!」と言ってくれたYさん。
いや、むしろ家族の誰も知らなかった父の大好きな曲を教えてくれて、こちらこそ感謝です。ありがとうございます。

告別式にはとてもたくさんの方々にご参列いただいた。
新聞の死亡広告掲載という沖縄独特の文化もあり、同級生をはじめ僕自身の関係者の方にも多数参列いただき、ただただ感謝。

告別式後の納骨から初七日、四十九日、先日の初盆、そして一年忌と、あっという間でもありながらいろんなことがあったこの1年。
様々な手続きの際も含めことあるごとに感じる父の存在とその大きさ。
家族や周りの助けがないと何もできない自分自身の小ささとついつい比べて凹んでしまうけれど、もう少しくらいはしっかりできるよう僕なりに頑張ってみるよ。

また何か思い出して書き残しておきたくなったら書き加えるかも。
「誠実に感謝を忘れず」という教えにはまだまだ足りない僕なので、改めて肝に命じて過ごしていきます。
お母さんを筆頭に家族・親戚みんなが穏やかに暮らせるよう、見守っていてくださいね。
改めて、ありがとう。

そして、こんなプライベートな内容の長文駄文を最後までお読みいただいたみなさま、心よりありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたしますm(_ _)m

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沖縄盤にはコーライト(共作)で楽曲提供しました「チュラパラ」も収録されています!

頑張っている沖縄の男の子たちをぜひぜひ応援してください!

BATTLE BOYS 公式HP:http://battleboys.jp

ebidence(沖縄盤)
01. ebidence / 1stSTAGE全国選抜
02. With you With me / 3rd STAGE 全国選抜【西日本ver.】
03. チュラパラ / BATTLE BOYS OKINAWA(作詞・作曲・編曲:岡村聡士/hanawaya/瀧口系太/伽羅奢)
2019年3月20日発売 / 価格:1000円 / レーベル:株式会社SDR –Music- / ZXRC-1188

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http://satoshiokamura.ryukyu/live/



2019-08-29 | Posted in Blog, 家族, 日常のあれこれ, 沖縄No Comments » 

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